彩の言葉を囁こう

"二人で会うときは人の目に触れないよう、放課後の屋上。"

そう決めたのは佐藤だった。別に隠すこともないだろうと反論してみせたが、鋭い目つきで、けれどどこか不安げに瞳を揺らすその表情を見たらもう俺は従うしかない。了承の言葉を告げた時、消えるような声ですまないと呟いたあいつの背中が今でも忘れられない。教室で毎日顔を合わせているだけじゃ足りないと騒いだのは俺自身で、嫌々ながらも最終的には俺を受け入れてくれる佐藤を思うとなんだか胸が苦しくなった。ごめんな、なんて言葉囁いたところで何の解決にもならないけれど。

『今日、上に来い』

ぶっきらぼうな素っ気のない誘い文句。こちらを見ることもなく言い捨てて去っていく背中。普通だったら何だあいつって首をかしげる行為でも、あいつが言うってだけで鮮やかな色を持つ。モノクロな言の葉が一瞬で塗りつぶされていく。その色は俺だけのもの。俺だけが見ることのできる、そして塗り替えることのできる色。

「バラ色ってやつ?」

ありきたりなラブソングを歌うみたいに言葉を紡ぐ。腰からぞわぞわと何かが走るような感覚に襲われた。ガラにもない歌詞を旋律に乗せてまだ来ぬ佐藤の姿を思う。誘っておいて放置とはさすが天下の委員長様。きっと担任辺りにでも捕まっているのだろう。お前を捕まえることができるのは俺だけなのになんて馬鹿げた歯の浮くセリフですら今なら囁くことができる。

待つのは嫌いじゃない。俺が待っているだろうと急いているお前を想像するだけで何故だか無性に嬉しくなる。そんな感情、ぼんやりただ日々を過ごしていたら抱くこともできない。嗚呼、いい音が生まれそうだ。俺が感じることすべてが俺の音楽になる。産声を上げた旋律をひとつひとつ掬いあげるようにして声で、ギターで奏でれば唯一無二の歌になる。その感覚は忘れてはならないものだった。佐藤と出会ってから俺の音楽は深みを増すばかりだ。だからこそ、佐藤から離れることができない。もちろんそれだけが傍にいる理由なわけじゃない。ただ単に俺が佐藤のことを好きなんだ。そう言葉にするだけで全身がむず痒くなるようなそわそわするような変な感覚がした。

しばらく佐藤の姿を想像して心を温めるが、さすがに我慢の限界はやってくる。カタカタと奥歯あたりが震えだした。まずい、非常にまずい。

「…何やってんだー、佐藤の奴」

吐き出した息は乳白色を帯びていて、風に揺られて俺の頬を掠める。何度も息を吹きかけて赤くなった指先を温めると、少しだけ寒さが和らいだ気がした。

「つーか、今12月なんスけどー?」

刺すように冷たい風に眉を寄せため息をつきながら裏ポケットにしまったままのiPodの電源を入れた。マフラー代わりに(それにしては無機質すぎるが)していたヘッドフォンを耳に当てれば聞きなれたギター音が溢れ出した。壁に凭れかかるようにして鼓膜を揺さぶる音に集中する。目を閉じればすぐに音楽の世界へ旅立つことができた。

どれだけそうしていただろうか。いくつか曲を聴き終えたところでがちゃがちゃと慌ただしくドアノブを回す音に目を開ける。バン、と大きな音を立て屋上の扉が開いたかと思えば飛び込んでくるような様子で誰かの影が目に入った。

「佐藤?」
「っ、わり…!遅く、なった…!」

荒い呼吸。短い間隔で上下する肩。ずいぶんと急いで走ってきたようで、佐藤の頬は微かに上気していた。そんなに急がなくても俺は逃げないぜ?なんて呟きながら、俺は俺の頬が緩んでいくのを止めることができなかった。

「俺の為に急いでくれた?」
「ばっ、馬鹿!ちっげーよ!」

微かに赤らんでいた頬に一層朱が差していく。否定の言葉を口にして誤魔化そうとしても表情だけは真実を物語っている。本人も分かっているだろう。俺には、否俺だけには通用しないということが。

けれどそれを指摘するなんて愚かなことはしない。誰よりも自尊心が高い佐藤のそれを傷つけてしまえばきっと、口をきいてくれなくなるだろう。その上意地っ張りなものだから引き際が分からなくなって気まずさ倍増なんてことになりかねない。たったそれだけのことだけれど傷つく。俺ではない、佐藤が傷つく。そんなことできるわけがないのだ。

「ま、いっか。んで?何かあったんだろ?」
「廊下で担任に捕まった」
「はぁ?何だ、また手伝わされたのか。断っちまえばいいのに」
「お前と違って俺は優等生なんだよ」

妙に突っかかる言葉に思わず眉を顰める。何がそんなに気に入らないのか、佐藤はこちらに見向きもせずそのまま小言を呟き続けていた。手伝わされたという仕事がそんなに不満だったのだろう。口が悪く皆が思っている以上に感情に素直な佐藤だが、ここまで不満を露わにするのも珍しい。かといってこのまま八つ当たりされっぱなしなのも癪だ。

「どうせ俺は劣等生だし?佐藤と違って担任からの信頼も薄いもんなー」
「誰もんなこと言ってねーだろ!」

予想以上に荒げた声に目を丸くする。自身の声の大きさに気付いたのか、するとまずいと言わんばかりに佐藤の表情が曇った。気まずそうに視線を逸らして、タイミングを逸脱してどうしたらいいかわからないといった様子に見える。それを見ていると、これまで感じていた怒りとか劣等感とか負の感情はいつの間にか消え去ってしまった。

「ったく…」

これだから離れられない。佐藤と交わす言葉、視線、ぬくもり全てが愛おしい。その全てを音にできればこれ以上にないほどの幸福を味わえるだろう。普段のたいしたことない会話や、今みたいに少し気まずい空気さえも俺にとってはなくてはならないものだった。

佐藤は分かってないだろう。俺がお前を取り巻くこの世の全てを欲していることを。気づくまでは教えてやらない。だって隠されたらもったいないだろう?

「…なんだよ」
「別に?」
「言いたいことがあるなら言え。何のために口が付いてると思ってんだ」

何のため?そんなこと決まっている。歌うためなんて笑って言えば、佐藤は呆れたようなでもどこか嬉しそうな笑顔を寄こした。

「馬鹿か、お前は」
「だーから言ってんだろー?俺は歌うことしか能のない劣等生だっつーの」
「んなことしか言えねーから馬鹿なんだよ」
「…相変わらず口の悪いハニーだこと……」 「誰がハニーだ誰が。ふざけたこと言ってっとその口塞ぐぞ」
「じゃあ、ダーリン?」
「塞ぐ」

物騒な言葉を吐き捨てて物騒な表情を浮かべながら、佐藤が掴みかからんとする勢いで手を振り上げた。